執筆中
・「メディアシステム教科書」過去15年間の大学講義をまとめたものを日経エレクトロニクスに連載した.これに写真資料などを収集して加筆して執筆中。単行本として大学教科書の予定。
・「ベンチャー経営学」の学部・大学院修士・博士課程向けのテキストを執筆中.全部で半期を4回,合計2年間の授業群に構成する予定.
1部「ベンチャー経営学とは」,
2部「ベンチャー金融論」,
3部「ベンチャー人材論」,
4部「ベンチャー広報論」.
・「アイデアを商品にする10のプロセス」について発想法をまとめたマニュアルを執筆中。大学のテキストとして使用予定。
・エッセイをまとめて、未来予測を付加した「21世紀はこうなる」という本を書くことにした。
執筆
2016年12月19日 日経ビジネス | p108『LEADER 93 ティム・クック』 |
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2014 | 佐野 眞一
『あんぽん 孫正義伝』
小学館文庫、2014年9月 文庫版加筆(P.459-487)盟友が語る「孫とゲイツとジョブズの若かりし頃」 あんぽんの文庫本化に際し、著者のインタービューを受け、西和彦の考える孫正義像について述べた。記事は28ページに渡る長編で、著者の佐野眞一によれば、「これは結果として賢明な策だった。(中略)ここには、絶賛でもなければやっかみでもない、ほぼ等身大の孫正義が語られている。」と評している。 |
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2013 | 工事中 | |
2012 | 工事中 | |
2011 | 工事中 | |
2010 | 工事中 | |
2009 | 工事中 | |
2008 | 工事中 | |
2007 | 工事中 | |
2006 | 工事中 | |
2005 | 日経BP社 日経bizTech No.007 2005年6月26日 p28-35 『エンタメの王様復活は「第四の娯楽」の確立から』 |
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2004 | 日経BP社 日経bizTech No.004 2004年12月20日 p178-185 『アスキー経営の誤算』 |
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2003 |
日経産業新聞12月2日p2 (日本経済新聞社) | 「デジタル放送か高速ネットか」 |
月刊神戸っ子Vol.509 p55(11月) | 「私の意見 『神戸っ子の未来』」 | |
sesame11月号p107 (SSコミュニケーションズ) | 「楽しく仕事をするために」 | |
視聴覚教育(日本視聴覚教育協会)Vol.671(平成15年9月)p68 | 「座学と実習」 | |
日経産業新聞10月21日p2 (日本経済新聞社) | 「IT時評 『情報セキュリティー対策』」 | |
日経産業新聞7月29日p2 (日本経済新聞社) | 「IT時評 『スーパーコン競争の示すもの』」 | |
NIME News Letter No.34(平成15年1月31日)巻頭ページ | 「IT教育革命とメディア教育開発センター」 | |
2002年7月1日 一柳アソシエイツレポートvol.5 | p10〜12『特集論文 ベンチャー進化論』 | |
2002年3月1日 兵庫教育 第53巻 第12号(兵庫県教育委員会) | p24〜29『提言 「総合的な学習の時間」のテーマとしての現行の教育の再定義と活性化について』 | |
2002 |
新潮社(文庫本) | 「20才の頃」 |
私学経営 No.323 (平成14年1月)P.3 | 「21世紀に始まる本格的な産学協同・交流」 | |
2001 |
日本歯科医師会雑誌11月号P.14 (日本歯科医師会) | 「IT利用とメディカル世界の変化~患者さんとドクターの距離が近づく」 |
農林年金(農林年金福祉団) 2001年2月号P.14 | 「人生4つの価値観」 | |
Shinsho(早稲田大学学園誌) 2001年夏号P.52 | 「私と本の付き合い」 | |
電通報(電通) 2001年11月12日P.8 | 「『テレビ放送の国際化』比べて視ると世界が見える」 | |
神宮司丁 第百八十八号 2001年1月 p40-46「いまと32年前と千三百年前の神宮」 |
伊勢神宮の広報誌である『瑞垣』に32年間の小学校時代からの神宮への想いや執筆時点の近況を述べ、さらに1300年前の北アジアにおける神宮の心理的位置について述べた。参拝者の表情の変化が神宮の空間の癒しそのものであると指摘した。 | |
2000 |
情報コミュニケーションの100年P.192 (凸版印刷) | 「メニューからコマンドを選んで動かす」 |
隆星2000年第32号P.1 (工学院大学電気電子情報同窓会) | 「『信念』という『魔法』」 | |
日経エレクトロニクス4月10日号P.147 (日経BP社) | 「プレイステーション2はこれで本当に大丈夫か」 | |
新世紀へのメッセージ20世紀良品P.79 (トランス・アート) | 「電話番号がなくなる?」 | |
読売新聞2000年10月21日付 がんばれベンチャーコミュニティー | 「ベンチャーにとって1周年とは」 | |
カリスマSEinternet記事 (sebank) | 「エッセイ」 | |
瑞垣 188号P.40 (神宮司庁) | 「今と三十二年前と千三百年前の神宮」 | |
兵庫教育2000年12月号P.44 (兵庫県教育委員会) | 「『ビットセンス』と『母国語+米語』」 | |
日本教育No287号P.24 (日本教育会) | 「インターネットがわたしたちに与える影響」 | |
週間 東洋経済2000年12月23日号P.48 (東洋経済新報社) | 「インターネット時代の日米関係」 | |
1999 |
「わ」 25周年記念号P.6 | 「放送のデジタル化をこう見る」 |
Shinsho 1999年3月1日号P.52 (早稲田大学学園誌) | 「iMac、新パワーマックG3について」 | |
ダイヤモンドType1999年4月1日号P.76 (ダイヤモンド) | 「ビル・ゲイツでも1日は24時間『お金』よりも『時間』を大切に」 | |
1998年3月7日 飛松中学校 創立50周年記念 | 『21世紀に向けて思うこと これからの50年で生活はどこが変わるか』 | |
1998年2月21日 週刊現代(講談社) | p203『おやじ、ありがとう(37)』 | |
1998 |
金沢科学技術専門学校 学校案内 P.50 | 「INPAの利便性・インターネットと教育・アスキーのINPA支援」 |
MACPOWER 1998年5月号P.158 (アスキー) | 「インターネットへのこだわりやお気に入りのページ」 | |
マックピープル1998年10月15日号P.127 (アスキー) | 「iMacについて」 | |
本とコンピュータ 1998年10月1日号P.121 | 「私はコンピュータのこういうところが嫌いだ」 | |
河北新報 1998年12月9日P.3 | 「宮城大学客員教授就任コメント」 | |
1997 |
週刊朝日1997年2月14日号P.120 (朝日新聞社) | 「私の読書生活『大統領就任式のために渡米して』」 |
ログイン(アスキー) 1997年4月4日号P.217 | 「250号記念特集 明日のコンピュータ」 | |
月刊アスキー1997年7月号P.355 (アスキー) | 「パソコン業界のキーマン20人に聞く!」 | |
bit 1997年10月号P.3 (共立出版) | 「私と『bit』」 | |
1996 |
ビジネスコンピュータ・ニュース 1996年1月1日号P.23 | 「年頭所感」 |
日経ベンチャー 1996年2月号 | 「ビル・ゲイツ未来を語る」 | |
1996/3 p255-260 解説 |
PHP文庫『失敗の中にノウハウあり―金儲けの神様が儲けそこなった話』邱 永漢 |
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みんなハッカーになろう1996年 (単行本) | 「あとがき 『ハイテクラスプーチン』への感想・意見」 | |
週刊ダイヤモンド 1996年11月23日号P.54 | 「『NTT三〇〇社分離』私案」 | |
図書 1996年4月号P.32 | 「若い日の読書 図書」 | |
図書 1996年12月臨時増刊号 | 「私の三冊 今まで読んだ岩波文庫の中で心に残る3冊」 | |
1995 |
福武書店広告 1995年1月1日P.7 朝日新聞 | 「人と会社と国と四つの誕生日」 |
日刊工業新聞 1995年1月6日号P.1 | 「日米のソフトウェア産業」 | |
ビジネスコンピュータニュース 1995年1月16日P.14 | 「ソフトで200億円を予定」 | |
情報処理 1995年2月号P.118 | 「21世紀のパーソナルコンピューティング」 | |
経営塾 1995年5月号P.34 | 「ソニー新社長出井伸之氏について」 | |
JAL機内誌 ウインズ 1995年10月号P.5 | 「飛行機は期待と興奮を乗せている」 | |
PHP研究所 Voice |
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日本の論点 1995年11月10日P.320 | 「NTTを持ち株会社の解禁第1号にして、事業を再編すべし」 NTTを中心とする日本の電気通信産業の再編成の最大のテーマは、国際競争力を持つ強い企業群の育成あると説き、それが日本の国益にかなうと提言した。そのため持ち株会社を解禁し、NTTグループとNTTと競争できる民間の大同団結が必要であると説いた。この民間モデルは現在KDDIがそれを実現している。第三の電気通信事業体であるソフトバンクはこの頃出版事業しか手がけていなかった。 |
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週刊ダイヤモンド 1995年12月9日号P.38 | 「NTTの分離・分割」 | |
中央公論社 中央公論 1995年12月号 p108 - 114『第三提言 いま何が問題なのか』 |
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1995年12月 <<希望の未来>>国際会議の記録 | 1995年12月 会議に参加したパネリスト/インターネット会議 152P〜162 |
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1994 | ビジネスコンピュータニュース 1994年1月3日号 | 「年頭所感」 |
ポイント図解式MPEG教科書 1994年P.IV | 「MPEG誕生までのメモリアル」 | |
1993 | ビジネスコンピュータニュース 1993年1月 | 「年頭所感」 |
1992 |
行政とADP 1992年3月号P.1 | 「何のためのコンピュータか」 |
Voice 1992年6月号 | 「企業家マインドは健在か-最悪のシナリオを書く-」 | |
The Computer 1992年9月号P.126 | 「Windowsがどう進化するかが次代の重要なキーを握る」 | |
1991 |
TECH B-ing 1991年1月号P.74 | 「パソコンを武器に情報戦国時代に嵐を巻き起こす男」 |
JSTDジャーナル 1991年2月号P.12 | 「仕事にやりがいをがいきいきと働く職場集団とは」 | |
日経マイクロデバイス 1991年4月号P.13 | 「MPUはソフトまで含めて考える時代に」 | |
東京新聞 1991年3月29日P.8 | 「びじねす随想」 | |
P&T 1991年8月号P.12 | 「情報観」 | |
笑顔とこしえに P.72 | 「竹井千穂さんを偲んで」 | |
Voice 1992年1月号P.98 | 「賢さに『情』を加えて」 | |
1990 |
教室の窓 1990年4月P.1 | 「私が受けた『真・善・美』の教育」 |
世界大催事記 1991年版P.38 | 「パソコン通信などの普及による情報社会の変化」 | |
人材教育 1990年9月号P.1 | 「友人は平等な出会いしかできない」 | |
人材教育 1990年10月号P.1 | 「ふたつのタイプに分かれるできる社員」 | |
人材教育 1990年11月号P.1 | 「0.14%の人事と100%の人事」 | |
人材教育 1990年12月号P.1 | 「任せることのできるのは『仕事』できないのは『趣味』」 | |
ル・クール 1990年P.104 | 「僕の高校時代の『勉強』と『クラブ』 と『友人』」 | |
1989 |
DENSO FRASH 1989年7月号P.10 | 「こころの若さについて」 |
ていくおふ 1989年秋号P.53 | 「ヘリコプターとの必然的な出会い」 | |
東京新聞 1989年6月9日P.12 | 「『びじねす随想』-業界にとって避けられぬ課題-」 | |
1988 | ユリイカ 1988年4月号P.154 | 「平賀源内論」 |
1987 | 翻訳の世界 1987年3月号 | 「ことば あとらんだむ」 |
日本経済新聞 1987年3月12日P.8 | 「旅は道づれ」 | |
1986 |
中央公論 1986年2月号P.68 | 「日本の技術はオナニー文化の所産か」 |
MACLUB 1986年Vol.6号P.4 丸善 | 「国際化しても国際人化することとなかれ」 | |
DDI VOICE 1986年2月3日号P.4 (岩波書店) | 「ネットワーク社会『広場』から『狭場』へ」 | |
現代産業情報1986年P.328 | 「10年後の社会とパーソナルコンピュータ」 | |
月刊Weeks 1986年10月号P.47 | 「リッチとは何か」 | |
合理化 1986年9月号P.1 | 「パソコン通信のこれから」 | |
電気通信時報1986年2月3日号P.4 (郵政省) | 「半導体とソフトウェアがつくるパソコンの世界」 | |
現代産業情報1986年12号P.2 (岩波書店) | 「10年後の社会とパーソナルコンピュータ」 | |
1985 | 臨教審だより 1985年12月号P.15 | 「私と教育 理系と文系」 |
連載
2002年1月号~2003年12月号 | 月刊ITセレクト(メディアセレクト) | 「ニッポンのCIO」 |
1997年11月号~1998年6月号 | マックパワー(アスキー) | 「もしぼくがアップル・コンピュータのCEOだったら」 |
1997年10月14日~ | 夕刊フジ | 「デジタル・ドリーム・キッズ ソニー燃ゆ」 |
1995年3月20日号~1995年11月14日号 | 日本工業新聞 | 「視野」 |
1992年1月31日~1993年3月29日 | 日刊工業新聞 | 「予見 デジタルメディア」 |
1990年12月26日~1991年12月4日 | 日刊工業新聞 | 「つれづれ」 |
1989年5月15日号~1990年11月1日号 | 実業の日本(実業之日本社) | 「SCOPE」 |
1988年7月26日~1989年7月2日 | 産経新聞(産業経済新聞社) |
「経済時評」 |